大雨。

大雨が降った。それも突風というオマケ付きで。

 

家を出るまでは然程気にならなかったが、ドアを開けた瞬間に引いた。そして一気に出掛ける気が失せた。これは家でじっとしてる為に降らせてるんでしょ?って。

 

こういう日に限って、終日外回りだったりする。2本の打ち合わせを東銀座で終えビルから外を覗くと出勤時より酷い雨と風。駅までの僅か数100mすら億劫になって近くのカフェに逃げ込んだ。ここでも思う。これはコーヒーを飲んで欲しい為に降らせてるんでしょ?って。

 

雨が多い梅雨の時期がないと草木は夏に向けて葉を実らせない。ここで一気に栄養素を溜め込んで育つ為の準備をする。だから人間も梅雨には室内でゆっくり休み栄養を育んで、、、とはいかない所に日々の辛さがある。しかもゴールデンウィーク後から海の日までには祝日が一度もない。

 

大雨が人をも溶かす酸性雨で、突風が家をも吹き飛ばす竜巻だったらきっと外出を禁止する法律でも出来そうだが、そんな近未来は残念ながらそうそうやって来ない。天候を直ぐに自分が休む理由に使うあたり、本当は何もしたくない怠惰な性格なんだなと自分に呆れる。

 

午後の15時過ぎ。西新宿で打ち合わせを終え、新宿駅へバスで向かうと、あれだけ激しく降っていた雨は綺麗に止んでいた。

 

これは早く歩いて家に帰る為に止ませたんでしょ?と、ここでも怠ける為の理由を作る。

 

生きてると誰しも気まぐれだ。

 

天気も神様も上司も政治家も。そして自分も。

得意分野。

毎日ライブハウスで一生懸命遊んでいるのだが、この習慣が当たり前のようになって来ていて、何故この習慣に昔から気が付かなかったのか今となっては謎である。

 

昨日のQue。見渡してみるとスーツ姿の人間は自分1人しか居なかった。ライブハウスにいるスーツの輩といえば大体がアイドルかそれに準じたような弾き語りの、まぁ、括ってしまえば魅力ある女の子を見に来てる年上の男性が大半で、彼等が落とす資本が若者の動力源になっていたりする。

 

世の中の金回りの縮図を見ているようなリアルは側から観ているとスーツを着ているだけで一緒くたにされるのは嫌なのだが、そこに性が介在してるからエネルギーを発し潤う。こんなところでも弱肉強食を味わってしまうのが何とも世知辛い。

 

憧れるものと得意なものは違う。自覚して上手く付き合っていくしか方法がない。

 

男性がどれだけ労力を費やしても、ルックスが良かったり若かったりする奴にポンっと抜かれたりするから、得意な分野を強みとして自覚しておくことは重要だ。そういうわかりやすい分野では男性はきっと一生勝てない。

愛着か惰性か。

長く続けるのは愛着か惰性か。

 

愛着てのは詰まるところ、その対象に対しての感情移入だと思う。どれだけ思い入れがあるか。対象のことを考える時間が多くなる。それは興味以上に「どこか気になってしまう」からだ。

 

考える時間は当然その対象と長い年月を過ごせば過ごす程に増える。だから長く接していれば当然気になるポイントは増え、対象を気にかけるようになる。気にかければかける程、対象との関係は深まっていく。

 

しかし、人は長く続けた事象を簡単に辞めることが出来ない。慣性の法則にも似てる。こういう時、愛着で続けているのか、それともレールに乗ってただ惰性で続けているのかが分からなくなる。長ければ長いほどに。それを愛しているからなのか、ただ単に辞めるのが怖いからなのか。後悔するのはきっと辞めた後なのだ。

 

愛着か惰性か。

 

どちらか悩むようになったということは、それだけ長く1つのことを続けられている証拠でもあると思う。少なくとも2〜3年は続けないと悩むまでにはいかない。

 

どんなに好きな事であっても、続けていればいずれは嫌になる瞬間が来る。そこで愛情を取り戻すのか、それとも惰性に安住した気楽さを求めるのか。

 

後者になったという事は、それだけ自分に守るべきモノが増えた証拠なのかもしれない。まんざら年齢の他にも重なるものは無くはない。

一区切り。

企画前最後のリハをいつものスタジオでやり切った。

 

1番広い部屋を借りて。

 

大分奮発したと思う。

 

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広い部屋で音を出すのは贅沢だ。狭いと近くの壁にすぐ反響して、みるみるうちに低音が聞こえ辛くなる。音が雑に聞こえる分、どんな曲をやりたいのか輪郭がぼやけてくるし、耳の疲労も早い。

 

今回の企画に向けてマネージメントをしてくれているぱやくんは誰よりも動いている。1月にベースが辞めてから実はまだ4ヶ月しか経っていないというのに、ベースが代わる前と大差ない量のライブをこなしている。数えてみるともう20本くらいやっているそうだ。

 

そのライブのほぼ全てをステージの外から客観的に観て判断と指示を促しているのは全てぱやくんだった。いつの間にか、こんなにもシステマチックな事が出来るバンドになっていたんだなと感じる。まだ2年しか経っていないが、2年経って自分がどうやってバンドに関わればいいかスタンスが見えてきた。

 

先日ササハタのJOEくんに「レオニダのライブに行くと毎回ならちゃんが居るのか不安になる。メンバーなんだから居るのが当たり前なのに」と言われた。このスタンスこそ自分の立ち位置だ。実は同じ発言は大学時代にもバイトでも、その他の数多に在籍した集団で言われ続けたことだ。結局は1人なのだ。居ないようで居るし、居るようでもう帰ってる。この幽霊のような位置でフワッと在籍した集団に関わっているのが1番楽だ。

 

2年経って、バンドでもその位置に安住する事が出来るようになった。

 

ずっと続けて行けるのかどうかは誰にも分からないけれど、一旦この位置に落ち着いてしまえば、どう続けていけば良いのかは容易だ。だって他の集団でもそうやってのらりくらりやっているのだから。

 

1つ違うのは、20歳以前はそれでパタッと辞めていたのが辞めなくても続けられるようになった事。それなりにコツを掴んでから就職したのだろう。そういう関わり方でも不要とされない方法がわかった。あんまり性格は関係なかったということだ。

 

今回の企画はへるくんが入ってからのレオニダの集大成的な位置付けになっている。離婚し転居して私生活がまったく落ち着かない中で金も時間も費やした。特に年末年始から3月にかけては私生活でも色々なことが重なり過ぎて精神をすり減らした。マズローの欲求段階じゃないけど、生活が落ち着かないと音楽やら仕事やら何にも手を付けられないってことが判った。

 

それもゴールデンウィーク頃を境にやっとどこに身を置けば良いのか自分の中で納得して来た。それでも周囲にはいつ何時に不安要素が寄ってくるか分からないし、これも結局は幽霊のようなスタンスで居る術を身に付けるしかない。

 

だから今回の企画で区切り。ようやく次のフェーズが見えて来た気がする。

 

年初のブログのどっかで「今年は準備期間だ」と書いた記憶があるが本当にそうなった。これからもその準備期間はある程度続いていく気がしている。

 

って言って今回の企画は本当に負んぶに抱っこ感が否めないので、ちゃんと迎えられる事に感謝しつつ、当日を盛大に楽しみたいと思う。最後のリハは充分に楽しかった!それを本番も復唱するだけだ。

 

リンリンは19時、百獣は20時。そして我々は21時からです。とりあえずみんな見に来てね。

 

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salsaのツーマン。

Threeにsalsaと本棚のモヨコのツーマンを見に行った。時間の関係で先行のsalsaしか見れなかったが、50分のロングステージを微塵も感じさせない素晴らしいライブだった。

 

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salsaを初めて知ったのは11月の下石にての企画。対バンしていたのだが、ステージがLUSHとHOMEでバラけ、かつ出番もモロ被りだったので拝聴する事が出来なかった。しばたくんとぱやくんをはじめ、知り合いは既にsalsaのステージを見て絶賛してたから、良いのだろうくらいには認識してたが、いざ聴いてみるとBattlesのノリにZAZEN BOYSのボーカルトラックを載せたようなクールな曲は個人的にかなりのツボで、早速iTunesで検索をかけると「VERY HARDCORE」という何とも重い名前のアルバムがヒットした。

 

このアルバムに収録されている「ダイナソー」や「サイダー」「アスホール」といった曲は8ビートを軸にしているが、ライブの終盤ではもっと各々のパートが拍をズラしていくミニマムな曲を披露していた。ラスト曲はレコーディング中とのことで早くレコーディング版を聴いてみたい。最近の曲になればなる程、複雑なリズムを演ってる印象だ。

 

ああいう曲を作る場合、ドラムは手数のアクセントをどこにどうやって配置するかが重要になってくる。それを咄嗟に判断して置いていくのがまた楽しかったりするのだが、全員が動き過ぎると統一感が無くなる。そこをベースがかっちり支えているあたり、3人のバランスがキモなんだろう。

 

言葉で説明するとどうしても陳腐にはなってしまうが、要はめちゃくちゃカッコ良かったという事だ。ああいうバンドと対バン出来たらそれこそ楽しいイベントになるに違いない。夢がまた1つ増えた。

5月16日。

京橋、新橋、銀座と、朝からひたすらに打ち合わせの日で、渋谷に遊びに行けたのは夜の21時を過ぎてからだった。

 

新人がが来月で退社するのと、一緒に仕事している後輩が産休に入る関係で、今月からまた古巣のお客さんを担当することになり、久しぶりに打ち合わせに参加した。3つの会議で述べ4時間近く。それでも10年も担当し続けた場所なので、気持ちをそこまで張り詰めてないし勝手もわかる。

 

この会社が無くなるか自分が今の会社を辞めでもしない限りは永久に付き合っていくであろう顧客にこのブログの存在がバレた。

 

バレたというか、そもそも隠していなかったので「仕事中に話題に出た」という表現が正しい。それでも存在を大っぴらにされると大分恥ずかしい。暗いことしか書いてないからね。しかし、仕事と仕事以外って区切り方が正しいのかと言えばそうではない。在宅勤務も24365でイントラに入れる環境も、すべてがシームレスになっているし、なんならライブハウスで知り合った人間よりも仕事の中の関係でも付き合いやすい人もいるし、学生時代の知り合いが一番付き合い辛かったりするのだから、何が正しいのかは本当に分からない。

 

1つ言えるのは、他人をおちょくるようなネタばらしや吹聴は誰もいい気分がしないということだ。嫌だと感じた人間とは距離を置けば良い。仕事だろうと仕事でなかろうとね。

 

誰に見られようが思ったことはこれからも書き続けようと思った。

目標。

何のために読書をするのか?という問いに村上龍は「情報に飢えているから」と答えていた。

 

当たり前と言えば当たり前なのだけれど、情報に飢える状況というのは、毎日同じような生活をしている社会人にとってはかなり稀有なことなんじゃないだろうか。

 

情報に飢える為には何かしら目標が必要になる。所謂「これがしたいからこの情報が必要なんだ」という類のやつだ。

 

けれども目標てのは生きることになんかしらの情熱を伴わないと自然発生的にわいてくるものではない。

 

自然発生的にわいた目標は幸福である。そう考えると「目標を定める」という言葉の使い方はなんともちぐはぐだ。定めるのではなく降ってくるのが理想だろう。

 

「純粋に楽しいからそれをやる」という状況はとうの昔になくなり、惰性で噛んでるガムみたいになんとなしに日常をやり過ごせてしまっているから、自分の中で目標とするものすら浮き上がらない。

 

逆に他人からのニーズで目標がわいてくる場合もある。最近の悩みはドラムが上手くならないことだ。それはメンバーからも指摘されている。だが、自分の中にこうなりたいという確固とした像がイメージ出来るかと言えば、実はまったく浮かんでこない。他責で定めた目標だからかもしれない。だから自分の中で情熱を持って目標がわいてくるのを待つしかない。その為に動いてみる。情報を集めたり、誰かに習ってみたり。

 

仕事も同様で、結局のところ上司から定められた指示を目標にして安寧する。大体の上司は部下自らの意志で仕事を進めようとする気概を求めるが、仕事だってやらされてる部分が大半なのだから、そうそう自発的に動ける訳でもない。

 

つまり他人が介在した時点で「楽しい」というメーターは消滅してしまっている。しかしそうも言ってられないから行動して再び情熱が降りてくるのを待つ。ただひたすらに待つしかない。

 

にしても「情熱」という言葉は使うとどこかこっぱずかしく感じるのは自分だけだろうか。

 

情熱を惜しみなく身体から放出している人を見ると痛々しくもあり、情熱を浴びたこちら側が疲れを感じることが多い。エネルギー過多で省エネで稼働したい自分の精神とにギャップを感じるからだろう。

 

それは羨ましいの裏返しなのかもしれないが、そういう生き方は自分には出来ないと思う。皮肉で表面を塗り固められた自分にとっては。

 

話を戻すと、最近は読みたいと思える本がなかなか見つからない。つまりは情報に飢えていないのだ。目標がないにも等しい。

 

でも活字には追われていたい。

 

そういう場合、先のドラムや仕事の話と同じ。

 

とりあえず読んで読んで活字を追いかけてそこから飢えを見つけるしかない。お腹いっぱいなのに美味しいものを探さなければいけないとは、なんとも皮肉な話だと思う。