風呂と生活

湯船を洗って風呂に入った。

 

時はまだ夕方。16時前後だろう。季節は冬に差し掛かっているけれども、かろうじて日は出ている。

 

暖かかったであろう日中に眠り呆けてしまった後、寒さで目が覚めて慌てて湯船を洗った。

 

湯船に浸かるのは一体いつぶりだろうか?

少なくとも今年の正月休みに浸かって以来、記憶が無い。

 

勘違いは、ない、とは思うけれども、毎日風呂に入っていないと言っている訳ではない。 

勿論、毎日風呂には入っている。ただ、湯船に浸かっていないだけだ。

 

毎日飲んで帰って、眠って働いてを繰り返す日常で、とても湯船に浸かる時間を確保することができない、、、というのはおそらく言い訳で、本当は湯船を掃除してお湯を溜めて云々、、、という行為が面倒で時間が勿体無いと感じているからだろう。

 

とにかく久々に湯船を洗ったのだけれど、目に見えない箇所。特に蓋の裏の汚れには引いてしまった。

 

蓋を湯船に乗せたままにしておいた接地面はこんなにも汚れるのかい、というくらい嫌なモノを見てしまった。

換気が悪い、湿気ぽいところを菌は好むのだろう。人間と一緒だ。クズでタチの悪い奴ほど暗がりを好む。そんな輩は嫌いで無いけれども、我が家の風呂を汚す菌はとても好きにはなれない。

 

ということで30分かけて必死に掃除した。

 

昨日のライブの本番より暑くなった。

風呂場という密閉された空間で換気扇も回さず湯船を擦り続けたのだ。そりゃあ汗もかく。熱気で眼鏡も曇る。

 

そしてもう二度と同じような汚れを残す過ちは犯すまい、という意気込みで掃除を終えたのだけれど、きっと半年後には同じ絶望への再開を見計らい、嫁が風呂に入った後には湯船の蓋を立てかけておこうと心に誓った。

 

 

湯船というのは不思議なもので、浸かっていると身体の毛穴全てから、それまで溜め込んでいた様々な汚れが湯の中に解放されていく気分を感じる。

 

飲んで溜め込んだアルコール、余分に消費した炭水化物・脂質にまみれた垢と油。

更に日々感じる葛藤、苦悩、そして苛々させるその理由のすべて。

 

それらが体内から湯を通して解放され、酒を飲んでいる訳でも無いのに心身が暖かく幸福な気分に満ちてくる。

 

当たり前だ。40数度のお湯に浸かっているのだ。冷え性のオレの身体でさえ、比熱のおかげで運動した後のように暖かくなるのは当然のこと。そうやって、正月以来溜め込んだ体内の余分な成分を放出し、よく分からない、自己満足にも似たカタルシスを感じ、風呂を上がり、ビールを飲みまた自己満足に浸る。

 

風呂は命の洗濯だと、エヴァンゲリオンの中で葛城ミサトは言っていたけれど、こんなに気持ち良い行為は毎日していたらとても勿体ないから毎朝のシャワーで充分、と自分に意味の分からない戒律を設けて、明日からの平日は風呂を掃除する煩わしさを理由に、当分の間、湯船に浸かる行為は棚上げになるのだろう。

 

心も体も暖かくなる生活を。明日も求めて労働に勤しむ。

湯のように、時間を置いたら冷めてしまわぬように。