すべて真夜中の恋人たち

川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』を読んだ。

 

すべて真夜中の恋人たち (講談社文庫)
 

 

何もしていないとあれこれ考えてしまうのが嫌で、恋愛小説にでも逃げようと思って読み始めたのだけれど、小説の中では冬子(この本の主人公)が現実の自分以上にうじうじして何も出来ず、久しぶりの恋愛にあたふたもがいていた。

 

この本に限らず、恋愛ものは普段はあまり読まない。読んだところで、好きになる過程、結ばれる過程、幸せになる、または不幸になる結果を、主観を中心とした文章の流れに乗せて読み進めていく訳だけど、なんだろうか、他人のセックスを盗み見しているような、なんとも気まずい気持ちにさせられるからだ。

 

子供の頃、家族で金曜ロードショーとかTVでやってる洋画を見てて、急にベッドシーンが出てきて気まずくなるあの不快さ。何とも言いようのない恥ずかしさが湧き出てくる。

 

川上未映子だから、恋愛小説でも暗さで恥じらいを乗り越えてくれるかと思ったけれども、書いてある物語は、江國香織以上に純粋でまっすぐな恋愛の話だった。

 

主人公の冬子は自分の感情を外部にストレートに表現できず、周りからは何考えてるかわからない、虐めたくなるような「苛々する弱者」として描かれているのだけれど、同じような弱者は『ヘブン』にも登場する。

 

不思議なのは川上未映子自身がどう見てもそういう弱者側に属した人間に見えないのに、そういう人物を書き続ける所にある。なぜなのだろうか。共感出来る存在だからなのか。遠い存在なので興味があるからなのか。

 

むしろ読んでいて共感を得るのは冬子と真反対な人格として登場する聖で、感情なんかよく分からなくて、直感で器用に生きるなら楽観的に何も考えない方がいい。寝たきゃ寝ればいい。というこっちの意見の方で、うじうじしていて何考えてるか分からない焦れったい存在が周囲を苛々させることには理解出来た。

 

感情なんて引用で、そこに意味を持たないなんて社会生活を営んでいれば誰しもがすることだろうと思っていたけど、そうではない純粋な感情てのもあるんだよね。

 

いつになったらそんな純粋な恋愛が出来るのだろう。32年間生きてきて実は一度もしてないかもしれない。ありったけの愛は自分の人生からは感じられない。相手からも求められてないし、自分も求める勇気がないからかもしれない。

 

なんだ。冬子さんと一緒じゃないか。

そりゃあ人に蔑まされて生きてきているはずだ。情けない。