遺伝で決まる人生

 

日本人の9割が知らない遺伝の真実 (SB新書)

日本人の9割が知らない遺伝の真実 (SB新書)

 

 「努力すれば報われる」的な勤勉な標語を日本人は賞賛する傾向にあるけれど、本当にそうなのか疑問に思ったので、ちょうど去年の冬休みにこの本を見つけて読んだ事を思い出した。

 

言語(母国語以外の言語が後天的に話せるようになる)とか記憶力とか、少し意外なところでは協調性とか、訓練で能力がある程度備わる事象がある反面、数学や執筆能力、運動神経、そして音楽的センスは、能力の大部分が遺伝によって決定付けられる為、同じ訓練をしたとしても能力に差が出てしまうことが証明されているらしい。

 

つまり、暗記でなんとかなる教科は別としても、国語(論文)、数学、体育、音楽などの学力は、どれだけ訓練しても生まれつき持った才能には敵わず、この世の中には努力ではどうすることも出来ない事象が存在する事を結論付けている。

 

この本では、だから人それぞれの生まれ持った強みを特定して、それを最大限活かすような教育を心掛けるべきだ、としているのだが、その強みが世の中のニーズとして存在しない限り、世の中の為には何の役に立たない人間というのも一定数存在してしまうことになってしまう。

 

これはとっても残酷な事実で、既存の枠組で判断すれば、「クズは何をやってもクズ」がまかり通ってしまうのだ。

 

確かに、才能、とまではいかなくとも、生まれ持った能力に差を感じる事は三十数年も生きていれば幾らでもあった。

 

万遍なく普通にそつなくこなせる人が重宝されがちな日本社会において、数学的センスもなければ人より劣ったルックスや運動神経しか持ち合わせていない自分は、それは後天的にでもマイナス思考な人格になる要素を兼ね備えていると妙に納得してしまう。

 

頑張って改善しようと思っても、自力ではどうにもならず、結局またダメだという負のスパイラルに落ちてしまうのだ。

 

どこで開き直れるのかはまだわからないけど、だったら努力なんてそこそこにして、自分が楽できる環境に身を置いて、決断なんかせず日々過ぎていく運命に自分を委ねてしまうことが生きる上でのもっとも効率的な方法なのではないかと思えてしまう。ここまで来たら早く諦められる奴が一番幸せだ。

 

そういえば、人から慕われる能力、リーダーになる素質、異性からの人気、金を稼ぐ才能。この辺りも本質的には遺伝するのだろうか。

 

遺伝するとしか思えない事柄が次から次へと湧いてくる。せめて音楽的センスだけはそこそこ与えて頂いたと自覚して生きていきたい。

 

だけど、他の能力に恵まれていたら、きっと音楽なんかやらずとも幸せを感じられたのだろう。音楽をやっているからと言って必ずしも幸せとは限らないけれど。