適度なアウトプットを

聴いたことない音楽を聴く。

観たことのない映画を観る。

読んだことのない本を読む。

食べたことのない味を楽しむ。

 

好きであれば好きである程、渇いた土が水を得て肥沃になっていくかのように、知識のインプットは増え膨よかになっていく。未知のものの中で、自分の想像にピタリと合った瞬間や自分の想像と遥かに超えて来た瞬間の感動はとてつもない。あんな幸せな瞬間は他に無いのではないかというくらいに。

 

ただ、食べ過ぎは脂肪を蓄え体重へと変わり身体に負担を抱えるのと同じく、過大なインプットは知識の隔たりへと変化し、硬直的な、所謂ただの気持ち悪いオタクに成り下がってしまうような気がしてならない。

 

インプットは受身でも出来るから、日本の大学の講義と同じように、座って窓さえ開いておけば勝手に凄い勢いで身体に入ってくる。面白かろうがつまらなかろうが。

 

空気を読み、色んなことを慮らなきゃいけないこの社会では受身の姿勢の方がダメージが少ないこともわかっているけど、どばーっと出したいこの感覚を一体どこへ放出すれば良いのだろうか。

 

アウトプットには勇気が伴う。

それは告白のようなもので、認められなかった時の失望の方が大きいから。

 

他人のアウトプットに対して不平・不満・文句を言うのは簡単だけれども、それを聞いているのもまた不快の連鎖になるだけで何も生み出さない。

 

せめてその勇気にだけは賞賛出来るような広い懐があったら、もう少し器用に生きられたのになーって思う。

 

暑苦しい自画自賛だけは絶対に許さないけど。