ぼくの哲学

アンディー・ウォーホルが好きである。

 

しかし3月に買って以来、2か月ものあいだ積読してしまった。

 

ぼくの哲学

ぼくの哲学

 

本が好きな人なら誰でも共感してくれると思う。

 

新刊でも古本でも、大型書店だろうとBookOffだろうと、好きな本に囲まれたときや大量の書棚の中から本を探しているとき、読書欲で言えばこの状態がピーク。メータを振り切っているから、あれも読みたい、これも読みたいとカゴの中は本で溢れてくる。それでもお財布と相談し辞めた辞めないを繰り返し、5~6冊くらいを買って店を出る。買った書籍をこの瞬間に一気に読み進めることが出来たら積読本は無くなるのだろうけど、この行為を繰り返すから家には積読本が溜まっていく。しかも買った直後の意欲はどこへ行ってしまったか。。。殊更、難解だったり、理解に苦しむ内容であったりした場合、ここでも辞めた辞めないを繰り返す。

 

そんな生存競争を勝ち抜いたサバイバー達が晴れて読了に辿り着く。お見合いだったら何件破断になっていることか。いや、破断の前に将来の嫁候補が積んで待っているのだから、それはそれで有りがたい状況かもしれないが。サバイバー達は気難しい顔をして待っている。気難しいから読まれない。積読されるにはちゃんとした理由があったのだ。

 

話を戻そう。

 

アンディ―・ウォーホルの思想はともかく、分かり易い。シルクスクリーンに有名人のアイコン。カラフルで馴染みのあるモチーフ。そして大量生産。分かり易いのにカッコいい。ありふれているはずなのに個性的。今の家に引っ越した時、よく分からないけど記念にとウォーホルの作品を買った。もちろん廉価品だけど迫力がある。以来、我が家のリビングには色の違う10人のマリリンモンローが鎮座しているという訳だ。

 

「ぼくの哲学」というタイトル通り、愛・美・死・下着など15の項目に対してウォーホルなりの考えが述べられている。。。のだけれども、読み易いようで文章がさっぱり入って来ない。一見するとめちゃくちゃなのだ。最終的に内容を読み進めるというよりは格言を拾っていくような読み方に落ち着いた。

 

言い得て妙なもので、なるほどなと思う一方、それって一体どういうことなんだろう?と首をかしげる内容まで様々だった。以下によくは分からないが印象に残った言葉を列挙しておきたいと思う。ごちゃごちゃと書くより、書いてあるそのままの内容をどう咀嚼するかが大切な気がしたからだ。

 

「欲しがらなくなったとたん手に入る【P38-1.愛(思春期)】」

 

「男の場合たいていは綺麗に見せようとしてやりすぎ、魅力が無くなるのだ【P74-3.愛(老いる)】」

 

「危険にさらされた美は美しさを増すが、美が泥の中にあると醜い【P93-4.美】」

 

「ぼくはいつも1番簡単なことしかしないし、1番簡単なことが最高【P114-5.有名】」

 

「考えは金持ちのように、恰好は貧乏品みたいにせよ【P142-6.働く】」

 

「今みんな寿命が延びて老人でいる時間が長くなってきているのだから、もうちょっと赤ん坊でいる時間を延ばすことを考えた方がいい【P148-7.時】」

 

「芸術家とは人が必要としないものを作る人で、その作ったものを人にやったら喜ぶだろうとどういうわけか思っているのだ【P192-10.雰囲気】」


どうだろうか。


意味はわからないものも多いが、なぜか刺さるような気がする。

 

これの前に読んだロバート・ハリスも述べていたが、アンディ―の絶頂期とも重なる60年代を称賛する人は多い。フラワームーブメントの時代。愛と平和の時代。ヒッピーの乱舞。多くの本は60年代を称賛し、テレビ番組は80年代を称賛する。どちらもただの美化された懐古主義なのだろうか。それとも本当に天国のような時代だったのか。

 

30年くらい経た後、2000年代~2010年代がメディアの中で何と言われる時代なのか。30年経って今の時代を称賛するメディアはきっとインターネットだろう。その頃には前時代的なメディアになっているはずだ。今の本とテレビのように。