何やってんだろうね

「何やってんだろうね」

 

新居を決め帰宅した嫁が言った。

 

「何やってんだろうね」の主語は「私」なのだろうか。それとも「私たち」なのだろうか。

 

先日、一緒にスタジオに入った友人も飲んでた際に「何やってんだろうね」と呟いた。

 

このケースの場合は「34歳にもなって結婚もせず音楽なんかやって」が枕詞になるようだ。

 

ちなみに嫁の場合は「10年も付き合って結婚したのに離婚して」が枕詞になるのだろう。この10年を無駄と取るのか、それとも良い経験だったと取るのか。

 

積み上げたものを壊したり、平均から少し取り残されたり。それを感じて「何やってんだろうね」と嘆くことは自意識過剰以外の何物でもないんじゃなかろうか。

 

それは自分の行動の結果であり、そもそも普通なんて実態のないものを意識しても仕方がない。自分の中にある普通なんて、自分が周囲を見渡して勝手に定義してるものに過ぎないのだから。

 

逸脱を後悔した結果から出る「何やってんだろうね」ならば、もう世間一般なんて基準自体、考えるのを辞めた方が健康的だ。

 

悲観的な時はきっと体力的に疲れているのだろう。何もしない時間を作って、よく眠りぼおっとすればいい。

 

「何やってんだろうね」と嘆く暇があるのなら、その分少しでも早く行動したい。他人のうじうじはもうこりごりである。