踏み外したその先に。

人生のピークはいつだろう。

 

もしかすると小学生の頃、いや、幼稚園の頃かもしれない。多分、世間というモノを意識してなかったからだ。得体の知れない存在。世間。

 

あの頃は楽しかった。何でも出来るあらゆる可能性が想像出来た。

 

しかし、世間は常識という冷たい壁を携えて一つ一つ希望を打ち消していった。世間にはいつも否定されているようで、自分から拒んでいた。普通・一般と言われる世間。馴染む事が幸せであり、そう畳み掛けられて育てられて来た自分。

 

だから脚を外さないように、普通の道を普通に歩むように人生のフラグを一つずつ挿して来たはずだった。

 

だが気付くと、最も脚を踏み外した場所に立っている。経済で言うところのリスク回避的な選択。それを行っていれば失敗はしないはずの関数f。でも、今の自分は確実に10年前の自分が「こうなってたら人として終わってるだろう」と想像する典型的な象徴に成り下がっている。

 

リスク回避的な選択とその場凌ぎの要領の結果、支柱の無い建屋が出来上がっている。雨さえ凌げない。足りない。絶対的に足りない。

 

気付くと欲に走っていた。食べて満たそう。飲んで満たそう。上手くいかない事はその場凌ぎの欲で満たす。そして吐いた。許容量を超えると身体から出すしかない。

 

何処でどう間違えてしまったのだろう。

 

離婚を決意した時か。結婚を選んだ時か。代わりの女を探そうとした時か。就職を決めた時か。受験に妥協した時か。音楽に目覚めた時か。部活を辞めた時か。今の家庭に産まれた時か。存在した時からか。

 

幼かったあの頃、こんなに苦悩する将来がわなわなと躍り出てくるなんて想像出来ただろうか。

 

昨夜、弱虫の安島さんと飲んでる時に言ってた。「音楽しか逃げ場がないから音楽をやる人が殆どだ」と。それは正に典型的で、本当は音楽なんてやりたくないんだよ。車買って、適当に結婚して家庭持って、休日はゴルフでもして馬鹿みたいにローンで所帯を持って、そうだよ、そんな馬鹿みたいな生活が理想なんだよ。

 

 

馬鹿みたいな生活。

 

 

この生活を「馬鹿」と形容している時点でもう駄目なんだよ。

 

やはり何処かで間違えてしまった。

 

 

人生のピークはいつか。

 

次に来るべきはずのピークを探して、プライドを誇示して自我を擦り減らして生きていると思っていたけれども、もう惰性でしか人生は動かないのかもしれない。

 

世界はもう味が無くなって、惰性で噛んでるガムみたい。

 

味が無くなったガムのように吐き捨てられた。もう膨らまないし、ただただ路上で硬くなり灰色の汚れに塗れ人生は終わっていく。

 

もうね。ダメよ。