2つの悲しい舞台。

2つの悲しいライブを観た。

 

1つは濁った性しか漂わない場末のキャバクラみたいな品評会。もう1つは持つエネルギー全てがフロアに放出され、灰と哀愁だけが残留する散会。

 

自分の心を洗ってくれる物事の価値が、お金や時間に兌換されるのは脳のどこかが拒否反応を示す。やっぱり。例えそれが高尚なものでなくとも。

 

演者は自己をひけらかす為に舞台に上がるのか。客は何を観に金と時間を費やすのか。

 

前者の悲しさは資本と欲が具現化された心の痛みだ。そこには作品に対する愛はない。

 

後者の悲しさは別れだ。死ぬと分かっている人間が一分一秒でも永く生きれる為、心を揺らす。ここには終わる予定の愛しかない。

 

 

最近、音楽とかバンドが宗教のように思えて仕方がない。1つの得体の知れない偶像を創り上げる為の信仰。

 

勿論、命を擦り減らす協力は観ている人の心を熱くする。だが、ふと度を超した時、心をすべて持っていかれた我々に一体何が残るのだろうとも思う。精神的な繋がりを意識せざるを得ない度を超した一体感が、時にものすごく不快で気持ちの悪いものだと感じることが少なくはない。

 

勘違いのないように1つだけちゃんと書いておきたい。後者のやつ。言ってしまえばそれはパニックハウスの解散なんだけど、こんなにフロアが燃えているのに、こんなにも悲しいライブを観たのはバンドを再開してからはじめてだった。歴史と思い出と人格と。だから人は今夜ここに集まって、心を震わせに来たんだろうなって。

 

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