トカトントン。

積読している本がどうにも読み切らない。特に大正・昭和期の純文学が。

 

本当は年末までに読み切ろうと思っていた太宰治の「ヴィヨンの妻」。短編集だからと思って手を出したのに残り1/3のところで止まってる。

 

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

 

 

タイトルの話は、駄目夫を持った妻が少しずつ強くなっていく、駄目なりにも学ぶ事はあるんだなという内容。それよりも好きだったのは「トカトントン」という話。どんなに物事に熱中していても、トカトントンという金槌を打つ音が頭の中で聴こえると途端に冷めて興味も関心も喪ってしまうという悩みを抱える書簡体の短編。

 

トカトントン、という音が聞こえた事はないが、ふとした瞬間の出来事で興醒めする体験は多々ある。特に団体が一体化して一つの行動をする様を見た時。集団の掛け声とかもそうかもしれない。

 

仕事の飲み会のラストでよくやる一本締め。あれはまだしも三本締めともなるとどうも薄気味悪くなる。いや、一本締めでも十分薄気味悪い。その輪の中に自分が入っていると感じた途端、「一体何をしてるんだ」という何とも言われない感情が沸き立つ。もっとも、笑顔で手を合わせてる男の集団を見るのが薄気味悪いのかもしれない。いずれにしろ、興醒めすることには変わらないのだが。

 

人が一生懸命になっている様は綺麗なのに、なぜそれが「集団」とか「団結」ってなると薄気味悪くなってしまうのだろうか。それとも、この感情自体が他人から見れば薄気味悪いものなのだろうか。

 

太宰の他に芥川も積読している。こっちは旧字体なので1年くらい手がつけられていない。簡素な説明文に逃げがちの昨今。次に純文学が読みたくなるのは一体いつのことになるだろうか。