大人の品格。

遅い朝飯を買いに行こうと外へ出たら何か家の前が騒がしい。

 

学生の列が近くの大学へと吸い込まれていく。

 

2月なのに今日はこんなに暖かくて、ぼんやりするにはちょうどいい気候の日に一体何かと思ったら、どうやら今日は大学入試らしい。どうりで大学へ行くには年齢層が少々若すぎると思った。

 

高校の制服を着た者。親と一緒に会場に向かう者。見た目からも勉強しかしてないんだろうなーとわかるようなむさ苦しい者。色んな若者が一斉に大学へと吸い込まれていく。自分にもこんな時期があったなぁなんて、ふと思い出した。

 

高校3年間を遊び呆けて終わらせたので、実家は金銭的に余裕がないにも関わらず1年間、悠々自適の浪人生活を満喫させて頂いた。今考えれば、10代のこの時期、勉強の仕方を教えてくれる者は誰も居なかったし、聞きもしなかった。ただ予備校の授業に出て、与えられた課題をこなして、暗記と演習を繰り返すだけだった。それで途中からは何で勉強してるのか飽きてしまい、結局、第一志望は落ちてそこそこの大学に落ち着いた訳だ。昔から第1志望は叶わない。1.5次か2次くらいがちょうどいい性分のようだ。あの頃から今日まで、大した努力もせず心と身体の中で妥協を遊ばせ、余裕綽々なフリをして生きている。

 

落ちて凹んだ大学受験だったけれども、落ち着いた大学は「そこそこ」と形容するにはうってつけで、金持ちのボンボンが多かったから、それこそ「そこそこ」の努力でも中の上の成績が取れた。単に専攻した政治学が好きだっただけかもしれないし、新書や論説を読みはじめたのもこの時期だった。

 

日本人の、世間一般の文系野郎とって、大学の4年間はモラトリアムだ。そこそこ自由な時間をお金で買って、社会に出るまでの猶予を遊ぶ。

 

ここで買うのは時間だけではなく「余裕」だ。

 

会社に入りたての頃、自分と20歳も歳の離れた大先輩から頻繁に言われたことがある。「大学に行ってない奴はコンプレックスからか、どこか態度に余裕がない」と。

 

それは「品」と言い換えても差し支えないのかもしれない。曰く、学歴がない奴はガツガツし過ぎてて、それが態度の凡ゆる所に出て来るのだと。

 

完全に差別じゃないのか?と当時は思っていたが、その時、先輩が言いたかった事はなんとなく理解出来る。結局、幼少期から思春期に過ごした周囲の環境や付き合った知人、日頃の衣食住がそのまま「品」となって跳ね返って来る。これが不思議なもので、その「品」が何処かしら余裕を与えるように思える。

 

そりゃそうだよね。周囲にそういう生活を自然としている人間が多いと、それが自分にとっても当たり前になるのだからさ。

 

その先輩は当時50歳。営業のベテランで、飲み会でははしゃぎまくるし、日々の仕事は破天荒。だけど何故か人望は熱く人懐っこい。それで情報と仕事を取って来る。しかも媚びない。要は、どこか余裕と機知を醸し出してて上手く世の中立ち回っていた。なんとなく気品があって育ちの良さが滲み出ていた。

 

大学進学の有無だけでそれが決まるとは思えないが、育ちって大事なんだなと感じた経験だ。

 

そんな自分は今日もコンビニで惣菜とホットスナックを買って、ファストに食事を終わらせる。少なくとも食生活に於いて、品格は全くない。

 

品格ってなんぞや?

 

言葉では説明出来ないところがまた口惜しい。