本気なら。

毎回毎回自分の話になってしまうのは恐縮の致すところではあるが、自分のブログなので良しとして、最近の生活が安定してきた話を書きたいと思う。

 

引越して早8ヶ月が経とうとしている。ピアノを実家から運んで1ヶ月弱。家事とか映画観るとか、家では何かと落ち着かず受動的なことばかりしていたのだが、ようやく宅録が出来るようになった。起きてシンセの電源を起動させ同期のBPMを合わせGarageBandにあれこれ入力していく。そして代わる代わるギターとベースを入れては消しを繰り返す。

 

読書や宅録てのは自分の中では集中力を要する遊びで、心が落ち着いていないとそうそう出来るものではなかった。宅録は特に。すぐに4〜5時間とか経ってしまうので、やるかという覚悟というか、熱量みたいなものが必要になるのだ。

 

映画を観たり絵を描いたりするのはその逆。頭を空っぽにして忘却のままその物事に向かう遊び。向かってさえいれば自然と終わりが見える。さっきはこれを「受動的」と形容した。でも読書や宅録はなかなか終わらない。考えながら進めないといけないし、宅録に限って言えば何も出てこない場合も多い。

 

同じ遊びでも向かい方が違うのは面白いし、絵を描くのは更に集中力を要する。多分、自分の中の理想と現実の成果物に1番ギャップのあるジャンルなんだと思う。

 

結局は遊びなので、ダーツしたり草野球したりするのと同じで、アウトプットがモノとして出て来るか否かしか違いがない。作品と称すると何ともおこがましくなるが、ダーツで言えばスコア、草野球で言えばその時々の勝敗と何ら変わらない。

 

「本気で」とかすぐに口を出すのはそもそも理解不能だし、意気込みの問題だから言うも言わないもあまり変わらない。要は費やす時間と金と熱量。これらの度合いで「本気」と形容するのであれば、どれだけ費やしたか定量的に記録してみるといい。

 

そりゃあ、時間と金が無限にあるならば、好きなだけそれらに費やして一生を終えたいと宅録をしてる瞬間には感じる。しかし、それ以外の時間がないと絶対に人生はつまる。要は時間の取り方だったりする。どこにどういう比重を置くか。そしてその物事に向かう前にどれだけ事前準備としてのイメージを頭に持っておくか。

 

回転の早い人はこれが非常に上手い。成果物は結局イメージのアウトプットでしかないから。

 

こうやって何かにハマってはまた違う何かにハマり、、、というのを繰り返して楽しむのが人生なんだと思う。もう2〜3回くらい人生の夏休みと呼ばれる長期スパンで時間とお金の制約から逃れられる自由を手にしたとしても、それを手にすれば待っているのは始める時の苦しみ。だから釣り合いと比重だけを考えて自分の中の遊びを楽しみたい。今日も。明日も。